転職理由の回答としてよく言われることが『他責に聞こえるようなことは好ましくない』と言うことです。
理屈はなんとなく分かっていて気をつけていても意外と他責の表現はしてしまうものです。論語は紀元前551年に孔子が記した書物ですが、そんな昔からも他責にすると言うことはビジネスシーンにおいて好ましくないと思われていたようです。
君子はこれを己に求む。小人はこれを人に求む。
今や冒頭でお伝えしたように『他責に聞こえるようなことは好ましくない』とされるものですが、論語ではズバリ『他人に押し付けるのは小人』と言っているのです。
これまでキャリアコンサルタントとして、何百人と書類添削をさせていただいて言いますが、どんなに役職が上の人であっても、転職理由ではこの『他責表現』をしてしまいがちだなと感じています。なぜ、人は転職するとき他責表現を用いてしまうのか。そうならないように日々どのようなビジネスマインドでいるべきかを論語から紹介させていただきたいと思います。
目次
学びて思わざればすなわちくらし。思いて学ばざればすなわち殆うし。
この意味は
読書ばかりにふけって思索を怠ると、せっかくの知識が身につかない。逆に、思索にばかりふけって読書を怠ると、独善に陥ってしまうということです。
学びて思わざればすなわちくらし。思いて学ばざればすなわち殆うし。にならないように
上から降ってきた仕事を課題として捉えて、いかに自分らしく、的確に、かつ迅速に完成度高くできる工夫をしてその仕事に挑んだのか、その降ってきた仕事を他人から与えられた仕事だと思うのと自分の仕事だと捉えるのかで変わってきます。
単純に読書をするのと、読書をした後それを生かして何かに取り組むことは、ただ降りてきた仕事をこなすのと、降りてきた仕事を自分なりに目標を持って取り組むのとでは大きな違いが生まれます。
和して同じず
この意味は
君子は協調性に富んでいるが雷同はしない。小人は雷同するけれども協調性にかけているということです。
和して同じずを行うためには
いつも傍観者に回って会議に出席をする人であれば、もしかしたら転職理由の一つとして『無駄な会議が多く非効率』『会議が多くて仕事の時間があまりなく、結果残業することが多い』なども例として上がる可能性はあるでしょう。周りは何を思い、何を考え会議に出席しているのか、自分は何を思い、何を考え会議に出席しているのか。自分がおかれている状況・環境において同化することなく、調和し個として思考を持つことを忘れず取り組むことによって、他責から自責に変わってきます。
君子は泰して驕らず。小人は驕て泰ならず。
意味は
君子は自信を持ちながら謙虚である。小人は、傲慢でありながら、そのくせ自身にはかけているということです。
君子は泰して驕らず。小人は驕て泰ならずの小人にならないためには
転職理由を例にあげると、会社・一緒に働いている人に対しての不満が理由の場合がほとんどです。そのため、『自分は何がしたくて転職をするのか』『転職先で武器となるできることは何か』を問うた時、本質ではない答えが返ってきます。もちろん、自責の念が強すぎて自信喪失し『自分なんかに何ができるのだろう』と転職したいにも関わらず、モチベーションが損なわれてどうしたら良いかわからないというパターンもありますが。
労働者である以上、より良い会社やより良いメンバーを求め、転職先を希望することはもちろん悪いことではないです。
ただ、本当に、自分はそれを望むに値している人間なのか、と疑問を持つくらい謙虚な心があったほうがメリットにも働くのではないでしょうか。
大手企業で誰もが知っているような会社に本当は行きたかったが、いまの自分には身の丈があっていないと考えて、誰も知らない、環境整備中のスタートアップベンチャーへ転職をしたが、のちに誰もが知るようなリーディングカンパニーになるなどもあり得なくもない話だと思います。
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